評論家が「たつき作品」と「たつき信者」を分析した結果・・・
こちら
内容
たつき監督は一部の人達にとって本物の神になったんだと思う。彼の作品や行動からは”人の望んだものを提出する能力”が高いということが見て取れる
「たつきを信じろ」と言われたとおりに期待は裏切らない、助かって欲しいと思えばそのキャラは助かるし、続きがほしいと願えば供給される
つまり自動で需要に答える幸福装置的な人物なのである
ここからは作品の内容の話になるが、
たつき監督の作品(“けものフレンズ1期”と”ケムリクサ”)に出てくる”仲間”キャラクターは
・お互いに望んだ通りの行動をして、
・それに必要な能力を都合よく備えていて、
・それでいて責任感を全く感じさせない
そして作品に出てくる”敵”は
・個人の悩みや状況的な困難
・戦いの相手は意思疎通のできない怪物のみ
・”思想の違う他人”と理不尽な戦闘になることがない(争いはあっても話し合いなどで解決できる)
これらを徹底することによってたつき監督は作品内からストレスとなる人同士の戦いを出来る限り排除している
だから彼の作品は心地よく見ることができるのだろう
彼の作った世界には安心が満ちている、そしてファンとして彼の国にいるうちは幸福を感じられる
もちろんここまではなんの問題もない、彼はただひたすらファンの期待に答えているだけなのだから
しかし彼の国は、国民(ファン)にとっては紛れもなくユートピアだが、そこに入らない(入れない)者にとってはディストピアとして映る
“幸福の国民は幸福をもたらす神に仇なす者を許さない”、あまりに幸福であるがゆえに、幸福を守るためにはどこまでも凶暴になれる
同調しないものは異端者として否定されるし、不快な存在はフレンズではないと排除される
たつき監督が降板したあと、続編として制作された”けものフレンズ2”
この作品内には、1期ではありえなかった”友達にならないという展開”(つまりキャラクター同士の不協和)が存在するとして話題になっている
1期と2期は別の作品であり、1期になかったものが2に存在しても何もおかしくはない。どういう展開だろうとそれは演出だと言えるのだが
1期のファンは、これを1期に対する挑発や破壊行為として認識している、つまり宣戦布告だと言っているのである
今ネット上で行われているけものフレンズ2の監督やスタッフ、肯定的な視聴者に対する罵詈雑言を見た人もいるだろう
人との争いが存在しない幸福の国の国民にとって、国外の外敵は”人ではない怪物”なのである
そしてこの私的制裁に神本人は直接関与も言及もしない、
一言たつき監督が「2期に迷惑をかけるのはやめてください」といえば騒動は収まるだろうし
仮に「ざまあみろ」とでも言ってしまえば彼の国の安心は崩壊する
何も言わないことによって、その国民は、外敵を永遠に攻撃することで幸福を得る立派な怪物になったのだ
感想
たつき監督の作品は本当に評価が高い。
まあこういった意見も1つの意見としてとらえれば面白いかもしれませんね。
世界はこの世にありませんから自分の考えを持つことは大切だと思います。
コメント