「世話やきキツネの仙狐さん」は現代社会の楽園!?
現代社会に必要な“肯定”はここにある 「世話やきキツネの仙狐さん」が楽園(エデン)すぎる
内容
癒やされたい。肯定されたい。「世話やきキツネの仙狐さん」は、ブラック企業に勤める男性が、神使の狐に何もかも全て癒やされていく、人間全肯定アニメ。優しい空間が覆いかぶさってくる、ある意味現代日本を象徴するような作品です。
●「社畜が死ぬ前に見る夢」みたいなアニメ
正直をいうと、このアニメ見るの怖かった。だって考えてくださいよ。アニメってことはどこかで終わるじゃないですか。
「世話やきキツネの仙狐さん」は、頑張る大人の何もかも受け入れてくれる、疲れた身体を投げ出せる羽毛布団のような作品です。「聖母たちのララバイ」に匹敵するレベルの甘やかしです。
そんなん……一度味わったら、最初からロスが怖くて仕方ない。どこかで目を覚まさないといけないと考えるのがひたすらつらい。原作マンガは単行本読むたびにそんな気分でした。これは「見る抗うつ剤」という表現に並べて「見る安眠布団」であり「見るアルコール」なのではないか。仙狐さん依存症になりそうで怖い。むしろ1話終わる度に「でもぼくのそばには仙狐さんがいない」と悲しくて泣きそう。と、わかっているからこそ見る。癒やされよう、まずは享受しよう、その後考えよう。
●狐娘、ロリババア、バブみ
原作はネットにおける、成人の欲する要素がこれでもかと詰め込まれた作品です。まず狐娘。ケモミミ娘の場合、猫やウサギなども確かに人気があるのですが、狐には大きな武器があります。しっぽです。
主人公の中野はどうももふもふフェチらしく、(普段わがままは言わないけれども)彼女のしっぽに顔をうずめることだけは欲望としてオープンにしています。仙狐の狐のしっぽは、包容力の象徴そのもの。
次にのじゃロリ(口調が古臭い少女キャラクター)でありロリババア(見た目は幼いが実際はかなり年齢を重ねている女性キャラクター)であること。
相手は神様のような存在。であれば人間ごときが考える見返りなんて、まったくお話にならない。どれだけ善行を積んでも足りない。だから「甘えるがよい」と言われたら、甘えていい。
遠慮しがちな日本の社畜社会において、なんて頼もしい言葉か。「年下に見える少女が、成人に対して母性を働かせる様子」を、ネットスラングで「バブみ」と表現することがあります。仙狐さんの場合は年齢が年齢なので、合法的バブみです。甘やかされるための準備は、あまりにも完璧。
●叱咤激励じゃなくて、肯定されたい
中野の勤める会社は公式で「ブラック企業」と書かれています。ただ「まだまだこんなものではないのでは?」という社会人も多いと思うのです。ブラック自慢大会をしても仕方ないけれども、彼は家に帰ってきて「癒やされる」精神状態なだけ、マシかもしれない。仙狐さんはこのあたり、800歳なだけあってよくわかっています。中野は本当に大変だ。苦労を重ねている。けれども仙狐さんは別に会社を責めない。
「おぬしは働きものじゃの」「偉いのうおぬしは」「無理はするでないぞ」
つらいよね、頑張っているよね、えらい。そう、それを言ってほしかった! 「頑張れ」とかじゃなく、今頑張っていることを肯定されたかった!! このあたり、言葉選びが非常に繊細な作品です。
感想
誰かに認めてもらえる認めるって大切なんだなってこのアニメ見ながら心底思います。
誰かがどこかで頑張ってるなありがとうとか声をかけるだけで人間って大きく変わると私は思います。
そんな現代社会で仙狐さんは光ですね。
見ながら毎回泣いてますが本当にいい話です。こんな素晴らしいアニメに出会えて感謝してますね。
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